ナショナルアイデンティティってなんたろう

ナショナルアイデンティティってなんだろう

 

サラーム皆さんこんにちは。

 

今世界が熱狂してる国際イベントが開催されていますね。そう、 ワールドカップです。

 

 

 

ここイランでもワールドカップの盛り上がりはすごかったです。

 

 

 

特にグループステージ初戦のモロッコ戦、 勝利で飾った試合の後は人々が熱狂抑えられず通りに繰り出し大変 なことになっていました。

 

 

 

 

ヒジャブをつけず車から顔を出し発狂する女性たち、 クラクションが鳴りやまない道路、道路の真ん中で踊りだす人々…

 

 

ほんと楽しかったです(笑)

 

 

 

そんな素晴らしいいワールドカップですが、 この大会を通じて自分の中にある心の変化が起こりました。

 

 

 

 

ワールドカップは、世界中の国が自国や地域を代表して戦い、 世界一を目指す大会ですね。 ワールドカップで応援するチームはみな決まっています。そう、 世界中の人が自国チームを全力で応援します。つまり、 ナショナルアイデンティティが全面に押し出される大会でもあるわ けですね。

 

 

 

この、ナショナルアイデンティティについてですが、 自分実はこの考え方がすごく嫌いでした。

 

 

 

自分は世界史が結構好きで、 ある時古代ギリシアの歴史を調べていたら、 変わった哲学者について知ったんですね。それがキュニコス派犬儒派)のディオゲネスという人でした。

 

 

彼は本当に変わった人で、かなりの禁欲主義を貫き、 人生の大半を樽の中で過ごしたそうです。 そんな彼が世界で初めて提唱したといわれる考えがあります。 それが「コスモポリタニズム」です。 知ってる人は多いと思いますが、日本語で言えば「地球市民」 の考え方ですね。

 

 

 

彼が提唱したこのコスモポリタニズムを知ったときは、 すごく驚きました。 近代国民国家の考えが定着した現代の時代に生まれ育った自分にと って、 一人の人間が生まれながらにして一つの国家に所属しているという 事実はあまりに当然すぎて、 客観視したことがなかったからですね。それも、 紀元前の古代ギリシア人がこの考えにたどり着いたことは驚異的で すよね。

 

 

 

 

それから自分は、自分自身の事を、「日本人」 というアイデンティティと「地球市民」 というアイデンティティという二つの軸の中で考えるようになった わけですね。それよりむしろ、「地球市民」 という考えの方にひかれて、「 どうして俺は日本に生まれたというだけで、 日本人として生きないといけないんだろう。 ましてや一国家のために自分の人生を使って貢献していきたいなん て絶対に思わない」なんて考えを持っていました。

 

 

 

トビタテ留学JAPAN日本代表として失格ですね。

 

 

ただこの考えが、イランにやってきて、 そして異国の地でワールドカップを経験して、 すこしずつ変わってきました。

 

 

 

 

というのも、イランにやってきてから、 毎日がこのナショナルアイデンティティに向き合う日々だからです 。

 

 

 

 

道を歩いているとき、レストランに入ったとき、 メトロに乗っているとき、タクシーに乗った時。 日常のあらゆる場面でこんな会話をします。

 

 

 

 

「どこから来たの?」-「日本だよ」-「日本か! いいな日本は好きだよ」

「そっかありがとう。俺もイランが好きだよ」・・・・

 

 

 

海外にいるならどこでも同じでしょうが、どんな人と会っても、 自分という個人の前に、必ず「日本人としての自分」 になるわけです。

 

 

 

 

また、週に一回、 お父さんが日本企業のイラン支局で務める関係で、 テヘラン在住中の日本人家族の家で家庭教師をしているのですが、 ここでも日本人アイデンティティを感じます。

 

 

 

 

週に一回、 日本人家族と日本語で日本料理を食べながら過ごす時間は、 ほんの数時間自分がイランにいることを忘れさせます。 この時間が自分にとっては妙に心地が良くて、落ち着きます。

 

 

 

 

テヘラン駐在の日本人はそこまで多くないので、 日本人会に所属する日本人同士のつながりはすごく強いです。 そして自分も例外なく「日本人というだけで」 その日本人会の一員として、迎え入れられます。

 

 

 

 

 

このイランという異国の地で、自分が所属する、 そしてお互いに助け合うことができる場所は、 他でもないこの日本人コミュニティなのです。

 

 

 

そんな中迎えたワールドカップは、今までにないほど自分の中の「 日本人アイデンティティ」を感じました。

 

 

ベスト16進出というアジア諸国の中でも唯一の結果は、 異国にいる自分にとても誇りを与えてくれました。

 

 

 

 

 

先日、語学学校の友達(チュニジア人、トルコ人、 ドイツとイランのハーフ、自分) とこのナショナルアイデンティティについて話していました。

 

 

 

 

自分の「ナショナルアイデンティティは何で決まると思う?」 という問いに対して、

「自分が話す言語」「人種」「生まれた場所」「 育った環境と習慣」などいろんな回答が出てきました。

 

 

 

 

この質問に対する答えはわからないです。ただ、 自分の中で確実に「日本人としての自分」 に対する自信がついてきています。

 

 

 

この世界は、いろんな国があって、いろんな言語があって、 いろんな文化があるから、こんなに面白いですよね。 みんな違うからこそ、面白いんです。

 

 

 

「ナショナルアイデンティティ」と「コスモポリタニズム」は、 対立する考えではなくて、「ナショナルアイデンティティ」 に対する本質的な理解の先に、文化、言語、人種の「違い」 を本当の意味で楽しむことができた先に、「コスモポリタニズム」 への道があるんだと、 そんな自分なりの答えを見つけることができたと思います。

 

 

 

皆さんの考えはどうでしょうか?

 

 

 

それではまた。