留学を終えて

8か月間のイラン留学を終えて。。。

 

約八か月間のイラン留学が終わった。長かったような、短かったような、やっぱり長かったような。自分の思い描いていた、留学中にやろうとしていたことは、なかなか実現できなかったと思う。確かに、ペルシャ語の習得という面では、ある程度話せるようになったかもしれないけど、それでももっと努力できたな、と思うところも多々あるのが正直なところだ。自分の留学に点数を点けるなら、せいぜい65点がいいところだろうか。

 

それでも、留学中や今この瞬間に自分の中にある一番大きな感情は、後悔ではなく、感謝だ。

 

よく、海外にいくことは自分探しだ、なんて言う人がいる。それを口にする人によってその真意は様々であると思う。そんな中、自分が8か月間海外に身を置き生活し、改めて思う。海外に行くことは、自分探しだ、と。

 

海外に自身の身を置く中で、今まで見えづらかったものがはっきりと見えてくる瞬間がいくつもある。例えば、何気なく一人道を歩いているとき、きれいな公園があったので中を散歩してみる。周りには、芝生の上でチャイをすすり、ピクニックを楽しんでいる家族、ベンチでお互いを見つめあいながら嬉しそうに談笑しているカップル、大きな声を上げ友達と笑いあうグループ、嬉しそうに孫と戯れてるおじいちゃん..。イランの公園は見渡す限り平和で幸せな光景が広がる、自分がイランで一番好きな場所だ。

 

その時、ふと気づく。ここに俺の居場所はないんだなあと。自分は今、家族とも友達とも、遠く離れた場所にいる。一緒にピクニックを楽しむ家族はいないし、しょうもないことで大笑いする友達もいない。ここに俺の居場所がないのは、ここがイランだからではない。ここに俺の居場所がないのは、ここは俺にとって親しい人たちがいる場所ではないからだ。ここが俺の居場所ではないのは、俺が日本人だからではなく、俺のことをよく知り、よく気に掛けてくれる人がいる場所ではないからだ。

 

あまり難しいことはわからないが、自分の存在について考えることが好きだ。自分が何者なのか?という意味合いではなく、自分が存在するとはどういうことかという意味でだ。その問いに対してはデカルトの「われ思う故に我あり」とか、ハイデガーの「実存」とか「現存在」とかがその答えとして真っ先に出てくる。確かに興味深いし、納得するところも多い。でも、自分が思う「存在」は、「自分個人」としてではなく、常に人と人との間にある。

 

自分にとって自分の存在は、自分以外の誰かが「自分」を認識することで生まれるものであると思う。例えば、この世界に自分以外の人間が誰一人いなくなったとして、果たして自分が本当に存在しているという確信をもつことができるだろうか。ほとんど不可能なように思える。

 

自分が自分として存在していると思えるのは、自分が生まれたその瞬間から今まで、自分を一番近くで見守ってきた両親が、常に自分のことをわが子として認識してくれるからだ。小学校のころに出合い、毎日のようにサッカーをして遊び、それぞれ違う道を選んでからもずっと親しくしてきた人々が、自分のことを友として認識してくれるからだ。自分と会うことを何よりも楽しみにして、小さなころからいつでもとびきりの愛情で接してくれた祖父母が、自分を孫として認識してくれるからだ。

 

その反対も同様で、自分も人との関わりの中で誰かに存在そのものを与えている。こうした意味で自分の存在は常に人と人との間に存在すると感じられる。(「我と汝」という本からの影響が強いかもしれない。)

 

海外に身を置くということは、自分にとって一番親しい人々と離れて暮らすということだ。そういう環境にいると、否が応でも自分の原点について考えさせられる。「自分を自分たらしめるもの」、つまり自分の原点とは一体何なのか。自分にとっては、こうした思考プロセスが、結果として「自分探し」になったと思う。世間で出回っている「自分探し」という言葉は、なんだか胡散臭いものとして独り歩きしている。それもそうだと思う。まだまだ日本では海外で生活をした経験がある人は少数派だ。ずっと日本で、自分を自分として認識してくれる人に囲まれた環境で生活をしてきた人にとって、「自分探し」なんて言われても胡散臭いものにしか感じられないと思う。

 

「自分探し」をした先にあるのは、いつも自分の周りにいる人たちへの感謝だった。「いつ帰ってくるんだ」とメッセージを送ってきてくれる友達、自分のことを一番気にかけて、心配してくれる家族。公園を歩いている時に「ああ帰りたいな」とふと感じるのは、帰る場所が日本だからではない。そこが、自分を自分として認識してくれる人々がいる場所だからだ。彼らが、あたりまえのように自分が帰る場所を作ってくれているからだ。

 

また、「自分探し」のなかで見えてくるのは個人としての自分だけではなく、「日本人としての自分」という側面もある。以前の投稿でも書いたが、私は日本で生まれたという事実のみによって自分を日本人と決めつける「ナショナルアイデンティティ」という概念がすごく嫌いだった。国籍なんて関係ない、コスモポリタニズムこそ正しいものなんだ、と思っていた。

 

 

 

それが、イランという全くの外国の中で暮らす中で、自分の眼前にはっきりと浮かびあがるものがあった。それは、どれほど自分が日本の社会から助けられているかということだ。まず、イランに留学したい!という突拍子もない自分の夢は、奨学金なしには実現しなかった。自分の留学を資金面でサポートしてくれたのは、トビタテ留学JAPANという、日本の若者を支援したいというトビタテの声に賛同した一般企業から集められた助成金を元手に、完全給付型で自由な留学をサポートしてくれる機関だった。

 

また、現地では日本人留学生を家に招きご飯をふるまってくれた在イラン日本大使館の人々、週一度のフットサルに招いてくれた商社に勤める方々を中心としたサッカー部、自分を家庭教師として週一度家族団らんの夕食に快く招き入れてくれた日本人家族、多くの時間を共にした日本人留学生の友人たち..。彼らが自分を招き入れ、サポートしてくれるのは、他でもなく自分が「日本人」だからだ。

 

そんな素敵な人々が作り上げている日本という国を、自分は誇りに思うし、純粋に好きだと思える。そして自分をサポートしてくれる日本社会に大きな感謝の気持ちを感じる。

 

 

自分の留学を振り返って、自分が思い描いていた留学計画ほど多くのことは出来なかった。ペルシャ語の勉強だってもっと力を入れてやることができた。点数を点けるなら所詮65点ぐらいの留学だった。

 

でも、留学の道を選んだことに後悔は全く、微塵もない。むしろ、お金なんかよりももっと大切な宝を見つけることができたと思う。自分が留学を通して感じた多くのこと、特にここに記した感謝の気持ちは、これからの自分の人生においてかけがえのない宝そのものだ。

 

八か月もの間ケバブばかり食べ続けて、当然お寿司がまた食べれるとか、牛丼が食べれるとか、そういう喜びも大きいけれど、大切な人々にまた会える喜びをもって、そして日本人としての誇りをもって日本に帰国することができるのが、本当にうれしい。