武士道-国際力は教養力だ-
サラーム皆さんこんにちは。久しぶりの更新になりました。
ブログって意外とめんどくさくて、書きたい衝動にかられた時しか書いてません(笑)
はい、というわけで今回は“武士道”について書いていこうと思います。
タイトルにかっこよく「国際力は教養力だ」なんて書いたんですが、教養力はまず自分のルーツを知ることが大切だと思います。
というのも、外国人と話している場面では必ず自国の話になり、説明を求められるからです。
なんで日本人は~なんだ?とか、なんで日本は~なんだ?とか、そういうのに答えられないとすごい歯がゆい思いをすることになります。
そんな中で、自分が海外で生活するうえで自然と日本人に関する疑問が浮かんできました。
海外に来るとわかるんですが、日本人は道徳心が高い民族だと思います。
というのも、日本は道路がきれいだし、みなルールをきちんと守るし、順番を守るし、マナー違反に対して恥ずかしいと感じる気持ちが強いです。
道徳心は、例えばキリスト教やイスラーム圏では、みな宗教から学ぶものだと思われています。例えばコーランには、道徳的な教義も非常に多くみられますね。
では、道徳心の高い日本人は宗教からそれを学んだのでしょうか。
違いますよね。日本人の中に宗教から道徳心を学んだと感じる人は少ないと思います。
じゃあ、我々の道徳心の基礎を作り上げているものは一体なんだろうか?
これが自分でなかなか答えを出せずにいた疑問でした。
そんな中ある一冊の本に出合ったんですね。
それが“武士道”です。
武士道の著者はだれでも聞いたことはあるであろう新渡戸稲造です。
実は彼がこの“武士道”を書くきっかけとなったのが、ベルギー人の学者から聞かれた何気ないこんな質問からでした。
「日本人はどんな宗教教育を行っているんだ?」
―新渡戸「日本では宗教教育は行われていないよ」
「なんだって?じゃあ一体日本人はどうやって道徳観念を学んでいるんだ?」
―新渡戸「むむむむ、(わからない)」
この会話が新渡戸に筆を走らせるきっかけとなったのでした。
では、新渡戸が考え出した「日本人の道徳観念を作り上げたもの」とはいったい何だったのでしょうか。
そう、それが武士道だったのです。
以下、自分なりに新渡戸の“武士道”をまとめながらお話しします。
新渡戸はまず、武士道が埋まれたきっかけを、“封建制度(Feudalism)によって武士の地位が向上し、特権階級となった彼らは、今までの野蛮な戦士ではなく、特権階級としての立ち振る舞いを身に着ける必要があった” としています。
武士の立ち振る舞いの基準となるにふさわしい3つの宗教が日本にありました。それが
武士道は仏教の「運命を静かに受け入れ、従う心」を取り入れました。
また神道からは「主君に対する忠誠の心、祖先に対しての尊敬の念」などを取り入れました。
そして武士道に最も大きな影響を与えた「儒教」は「穏やかな心、慈悲深き心、そして孔子の世才のある政治倫理的原則」が特にサムライの行動原則にうまく適合したのでした。
これらが融合し生まれた武士道の基盤が「義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義」という七つの道徳的観念でした。
儒教の「仁・義・礼・知・心」の五常と似ていますね。それほど儒教からの影響を強く受けているということです。
「義」とはすなわち「正義の道理」であって「正しい道を進む意志」というべきでしょうか。
新渡戸が出した例を挙げて言うならば「武士にとりて卑劣なる行動、曲がりたる振る舞いほど忌むべきものはない。」という言葉や、「義は勇の相手にて決断の心なり。道理に任せて決心して猶予せざる心をいうなり。死すべき場合に死し、討つべき場合に討つことなり」といった言葉によって表現を試みています。
「義」は武士道にとって最も大切な教訓であって、それにゆえに言葉に表すことの難しさ、また恐れ多きを感じる文章です。
続いては「勇」です。「勇」はもっぱら勇気を表すものですが、「勇とは正しきことを(義しき事)をなすことなり」とつづられています。ただ勇気があるだけでなく、常に義を伴った勇でなくてはならないのです。
例えば、なにも向う見ずに死んでいく武士の死は「犬死」などと卑しめられるのです。
そして勇を実践するためには何時も平静を保つ精神力を伴うのです。
続いてが「仁」です…と説明したいところですが、あまり長くなってしまうのもそして本の全容を紹介するのもこのブログの本旨ではないということで、この辺で区切ります。
こうして新渡戸は武士道の何たるかを紐解いていくわけなのですが、ではこの武士道が我々の精神の中にまだ生きているのかという疑問に対し、新渡戸は「武士道は現になお過渡的日本の指導原理であり、しかしてまた新時代の形成力たることを実証するであろうから」と言及しています。
この武士道が刊行されたのは19世紀後半、明治維新か大幅に進めれている中でした。
新渡戸の時代から100年余り、このころの日本と比べ現在の我々の社会、生活は大きく変化しました。
ボーダーレスな世界は、我々に新たな文化を発見し、体験する自由を与えてくれました。
そんな時代だからこそ、我々のルーツ、精神的支柱がどこにあるのかをもう一度見つめなおすことは非常に大切であると思います。
海外で生活しているからこそ、新時代を迎えてなお、我々日本人にのなかに「武士道」の血はしっかりと受け継がれいる、そんな確信を感じます。
経験から学ぶことってとっても大事なんですが、「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」なんて言葉があるように、歴史や先人たちの言葉は人類の英知が詰まったものそのものなわけで、当然自分の経験に頼るばかりでは、もっと大切なものを見逃してしまうかもしれません。
自分が答えを出せずに苦しんだ疑問と同じ疑問を抱き、そしてそれを見事に論じた本を見つけた今回の件で、それをまざまざと感じさせられました。
「温故知新、古き(故き)をもって新しきを知る」孔子の有名な言葉ですが、まったく先人の見つけた英知には時代を超えて共通する真理が本当に多くありますね。
この「武士道」オリジナルは英語で書かれたものなので、英語で説明する場面を想定するなら、英語のまま読んでみるのもいいと思います。
興味がある方はぜひ読んでみてください
ではまた
引用「武士道、岩波書店」